Nostalgic portMurotsu
古くから天然の良港として知られてきた室津。
様々な人が行き交い、
多くの文化人が絶賛した播磨灘の風景を残しながら、
いまもなお穏やかな時間が流れています。
Japan heritage
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
〜北前船寄港地・船主集落〜
歌川広重「日本湊尽 播州室ノ津」(太田記念美術館蔵)
北前船は、江戸時代から明治にかけて物資を運んだ商船です。寄港地で商品を売買しながら、日本海側を経由して大阪と北海道・東北を結び、一攫千金を狙った船主たちの活躍によって様々な物や文化が日本各地を行き交いました。
「人の集うところに商機あり!!」
天然の良港である室津では、「室の船頭」が早くから活躍し、日本各地に寄港しながら莫大な財を築きました。豪商「嶋屋」や「魚屋」が構えた建物は、室津海駅館、室津民俗館としてその豪壮な姿を残しています。さらに、船を係留するためのもやい石、船主たちが参拝した神社仏閣などを歩いて回れば、彼らが港で過ごした空間を肌で感じることができます。
令和元年5月、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 〜北前船寄港地・船主集落〜」として、室津に残る北前船のストーリーが「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されました。
Walking Course
瀬戸内海に面し、三方を山に囲まれた室のような津。
瀬戸内海に面し、三方を山に囲まれた室のような津(みなと)。
万葉の時代に歌われ、源平合戦の舞台となった湊。
参勤交代と北前船で栄えた港。
そんな室津の歴史と景色をお楽しみいただけるよう、
2コースご用意しました。
日本遺産構成文化財をめぐる
ひと足のばして…
シーボルトが絶賛した瀬戸内海の景色、
竹久夢二や司馬遼太郎などの文化人が魅了された室津の風景と、
かつて北前船の寄港地として栄えた港町室津の
足跡をたどるコースです。
北前船お手軽コースに加え、
浄土宗の開祖・法然ゆかりの浄運寺をめぐるコースです。
は、日本遺産に認定された構成文化財です。
Murotsu Kai eki-kan
室津海駅館は江戸時代後期に豪商「嶋屋」の三木半四郎が住宅として建てたもので、明治時代に一部増築がされています。
建物は切妻造平入り本瓦葺きの二階建ての構造となっており、当時の室津の町屋の特徴を残すとともに、座敷周りの意匠が優れています。
現在は、たつの市の資料館として展示公開しており、館内では「海の宿駅」として栄えた室津の歴史について廻船、参勤交代、江戸参府、朝鮮通信使の4つのテーマで学ぶことができます。
たつの市立室津海駅館・室津民俗館
https://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/kaiekikan-minzokukan.htmlTownscape of Morotsu
江戸時代には参勤交代のため西国大名のほとんどが室津に寄港しました。最盛期には肥後屋、肥前屋、紀伊国屋、筑前屋、薩摩屋、一津屋の6つの本陣があり、室津千軒と呼ばれる賑わいを見せました。
また、江戸へ向かう朝鮮通信使、江戸参府のオランダ商館長、江戸上りのための琉球使節団も寄港する国際港でもありました。
本陣 肥後屋模型
本陣図面
Stone buddhiest
嘉永4年(1851)年に豪商「嶋屋」の三木半四郎が奉納した西国33カ所の石仏群です。
石仏のある参道を抜けた見性寺には平安時代後期に作られた毘沙門天(国指定文化財*非公開)が安置されています。
Murotsu Minzoku-Kan
室津民俗館は江戸時代後期に豊野家によって建てられた住宅です。豊野家は、屋号を「魚屋」とし、苗字帯刀を許された姫路藩の御用達を務めた豪商でした。
一階入口の吊り下げ式二重戸、一階裏側の隠し階段などの造りには豪商のおもかげがうかがわれます。また二階の土間上は室津では珍しい虫籠窓になっており室津の町屋の中でも他の町家には見られない構造となっていますので必見です。
たつの市立室津海駅館・室津民俗館
https://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/kaiekikan-minzokukan.htmlMinato-chaya
現在みなと茶屋があるこの場所は姫路藩の御茶屋跡で、江戸時代には国賓である朝鮮通信使を迎える迎賓館として使われていました。
朝鮮通信使は将軍への朝鮮国王の親書を持参した国賓の使節団で、総人員は300~500人程で構成されていました。江戸時代を通じて計12回来日しており、最後の対馬での易地聘礼(えきちへいれい)を除いた11回室津に寄港しました。瀬戸内海に浮かぶ大船団を一目見ようと周辺の村々から多くの人が押し寄せたそうです。
Moyai stone
Kamo Shrine
賀茂神社は平安時代に創建されたとされる古社です。
拝殿が本殿と向かい合うように位置している「飛び拝殿」は珍しく、海から参拝できるように配置されています。瀬戸内海上の守護として古くから崇敬を集めてきた由緒ある神社です。
本殿を正面に5棟の流造り・檜皮葺きの社殿が建っており、これら社殿と唐門、東西回廊の8棟が国重要文化財に指定されています。また、他にも日本北限の自生ソテツなどの県指定文化財、市指定文化財も多数あります。
江戸時代オランダ商館長一行とともに訪れたシーボルトが、参籠所から見た風景を「日本で見た最も美しい風景の一つ」と絶賛しました。その播磨灘の美しい風景を今も望むことができます。
1ヶ月前までに要事前連絡
19世紀にシーボルトが絶賛した播磨灘の風景をそのままに残す参籠所からの眺望を、抹茶と御菓子をお召し上がりいただきながらご覧いただくことができます。
特別拝観をご希望の方は必ず1ヶ月前までに下記までお電話またはE-mailにてご連絡ください。特別拝観の流れや拝観料についてご説明いたします。
参籠所は通常は一般公開していません。また、祭事等によりお受けできない日もあります。
お問い合わせ先/たつの市立室津海駅館
【お問い合わせ先】たつの市立室津海駅館
TEL:079-324-0595 E-mail:kaiekikan@city.tatsuno.lg.jp
開館時間/ 9:30 ~ 17:00 定休日/毎週月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土曜日、日曜日、祝日を除く)、毎月末日、年末年始
Jounji Temple
浄蓮寺は浄土宗の開祖法然上人ゆかりの霊場で1207年、法然上人が讃岐へ配流の途中、室津で遊女友君に出会い教えを授けたという伝承が残っています。
入口にある伝友君の墓、境内墓地にある女性の「かくれキリシタン」のお墓など女性にゆかりの話が伝わっています。
2021年、本尊の阿弥陀如来像(快慶派仏師の作と思われる製作)の胎内に一木造の阿弥陀如来像と小さな球状の物体が確認され話題となりました。
本堂に座り瀬戸内海を眺めれば癒しのパワースポットでもあるこの寺は、名もなき旅人から司馬遼太郎、須田克太、安田章生、大村崑、田辺聖子等の作家、映画監督、俳優、政治家など様々な人が魅了され画帳に思い出を記しています。
Hiyoriyama
浄運寺の裏手にある山は、日和山と呼ばれています。船乗りたちが船出に先立ち空を眺めて日和見、すなわち天気を予測するために登った山であり、イワシ業が盛んな時期には、ここからイワシの大群を観察したそうです。また一説には遊女たちが船出する男たちを見送った場所でもあったようです。
日和山の目印として植えられた榎木の切り株が賀茂神社から室山城へ向かう道筋にある日和山に残っています。
Murotsu History
賀茂神社縁起では「その昔、賀茂建角身命が斧と鉈と鎌の3刃で藤蔦を切り払い、港を開いた」と伝えています。
約1300年前に編纂された『播磨国風土記』においては、「風を防ぐこと室の如し」と記載され、
当時から穏やかな良港であったことがうかがわれます。
賀茂神社縁起では
「その昔、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が
斧と鉈と鎌の3刃で藤蔦を切り払い、港を開いた」と伝えています。
約1300年前に編纂された『播磨国風土記』においては、
「風を防ぐこと室の如し」と記載され、
当時から穏やかな良港であったことがうかがわれます。
713年 | 風土記編集命令。「この泊、風を防ぐこと室の如し」(『播磨国風土記』)。 |
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700年代 | 「辛荷の嶋に…」「室の浦の…」、「万葉集」に詠われる。「檉生泊」(室津)は、行基が定めたという「摂播五泊」の1つ(『本朝文粋』)。 |
1180年 | 平清盛が高倉上皇と厳島詣の途中、室津賀茂神社へ参拝(『高倉院厳島御幸記』)。 |
1183年 | 平氏が西海を目指して室津へ。このころ、源氏と平氏による室山の合戦(『平家物語(延慶本)』)。 |
1184年 | 上賀茂神社の社領として「室・塩屋御厨」(「源頼朝下文」)。 |
1207年 | 法然が室津で遊女に出会ったという伝承(『法然上人絵伝』)。 |
1336年 | 足利尊氏が室津で軍議(『梅松論』)、赤松円心が室山城に長男の範資を配置という伝承。 |
1420年 | 李氏朝鮮の回礼使・宋希璟が室津滞在(『老松堂日本行録』)。 |
1441年 | 嘉吉の乱。その後、山名氏や浦上氏が室山城へ。 |
1559年 | ポルトガル人宣教師ヴィレラの室津上陸記事(フロイス『日本史』)。 |
1564年 | 室山城で婚礼の最中であった浦上清宗とその父政宗が、赤松政秀に討たれた伝承(諸説あり)。「八朔のひなまつり」の起源という。 |
1587年 | 伴天連追放令。イタリア人宣教師オルガンティーノがキリシタン大名小西行長の所領・室津に潜伏。 |
1590年 | 帰国した天正遺欧少年使節・伊東マンショやヴァリニャーノら、秀吉に会うため室津へ上陸、滞在。 |
1607年 | 回礼兼刷還使(朝鮮通信使)、室津上陸の記録(『海槎録』)。以後、1764年まで11回の寄港。 |
1633年 | オランダ商館長の江戸参府が恒例となる。以降、室津入港の記録多数。 |
1634年 | 琉球使節最初の江戸上り。以降1850年まで18回の参府記録。 |
1635年 | 参勤交代制度化。以後は西国大名上陸港として賑わう。 |
1691年 | ドイツ人医師ケンペル、室津の滞在記録(『日本誌』)。 |
1700年代 | 室津の本陣は6軒を数える(「高畠家(薩摩屋)史料」)。 |
1766年 | 与謝蕪村が室津を訪れ、2句を残す(『蕪村句集』)。 |
1805年 | 伊能忠敬、室津や七曲りなど海浜を測量する。 |
1822年 | オランダ商館書記フィッセル、室津を遊歩。賀茂神社に参拝した詳しい記録(『日本風俗備考』)。 |
1826年 | ドイツ人医師シーボルト、オランダ商館長とともに室津に上陸。室津をはじめ、日本について詳しい叙述(『日本』)。 |
1862年 | 大久保利通、幕政改革運動で上京。室津薩摩屋へ宿泊。 |
1917年 | 竹久夢二、室津から恋人の彦乃へ2通の手紙を書く。 |
1930年 | 谷崎潤一郎、木村屋旅館に滞在、室津を取材(『乱菊物語』)。 |
1934年 | 柳田國男、小五月祭の日に訪れる(『故郷七十年』)。 |
1974年 | 賀茂神社、本殿等8棟が国指定重要文化財に。 |
1976年 | 遠藤周作、小西行長の取材で訪れる(『走馬燈』)。司馬遼太郎、室津を取材(『街道をゆく』)。 |
1985年 | 室津民俗館開館。 |
1997年 | 室津海駅館開館。 |
Access
公共交通機関をご利用の場合は、JR「姫路駅」またはJR「竜野駅」からタクシーまたはレンタカーをご利用いただくのが便利です。
【 新幹線のぞみ号利用 】 | 京都駅から約45分、新大阪駅から約30分、岡山駅から約20分、広島駅から約60分 |
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【 在 来 線 利 用 】【 在来線利用 】 | 京都駅から新快速利用で約95分、大阪駅から新快速利用で約60分、岡山駅から約85分 |
JR姫路駅から車で約35分、JR竜野駅から車で約20分
県外からお車でお越しの場合は、山陽自動車道を「龍野西I.C.」または「龍野I.C.」で降りていただくのが便利です。
※掲載の時間はおおよその所要時間です。
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